カスタマーレビュー
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卒業は いつになったら 
(2007-05-17)
大学の同窓会に集まった53歳の登場人物達の大学卒業後人生を一つの物語として語りながら
話は進んでいきます。
ベトナム戦争で足を失ったディビット ギャンブルは勝つも結婚生活は負けるエイミーとボビー
スプークは二人の夫と生活 ビリーは徴兵逃れにカナダに逃げ恋人も失う エリーは不倫中に事故に会い ドロシーはビリーを捨て カレンは性的妄想中 マーブはダイエットに成功するも嘘をつき マーラとディビットは離婚し みんなは同窓会で踊り 酔っ払い 別れ 出会い。そして・・・
"make me pregnant""私を妊娠させるさせるのは?”というせりふがあるのですが
53歳になって(現在45)同窓会にでてこう言われた時 どんな感じになるのだろう?と
村上春樹氏は あとがきで”50すぎてこんなぐじぐじしたことしているの?と子供に驚かれると書いていましたが 僕も50過ぎてもこんなことしていいんだと。
人生のかなしさ、うつくしさ 
(2006-10-27)
この本は『世界のすべての七月』というタイトルで
村上春樹氏の邦訳も出版されている。
…胸が、ふるえる物語だった。
揺さぶられた。
ペシミストな私は常日頃より
「人生の帳尻なんて合わねぇ 大赤字だ」
というようなことを繰り返し申し上げているわけですが。
これは別にペシミズムというわけではなく、
単純かつ厳然たる真実に関する述懐のつもりだ。
幸と不幸の総量を相殺したら、
誰しも絶対に大きなマイナスになるに違いない。
つーかね もうしゃーないよ
それこそが人生というものなんだもん、たぶん。
そう、我々人間という存在自体が、
出だしから「損なイキモノ」と規定されているのだ。
「喪失」というものが、そのことを端的に示していると思う。
どんな幸せも、喪失体験のやりきれなさを打ち消すことなんて到底できない。
愛する人との死別、という喪失もあれば、失恋や仲違いという喪失もあるだろう。
どれも本質的には同じものだ。
失恋と死別を一緒にするのはナンセンスだ、という言い分もあるだろうし、
それはそれとして同意する部分が皆無なわけではないけれど、
「個人的な体験として」見てみれば喪失は喪失でしかないわけで、
そこに相手の生き死になどという「瑣末な」ファクターを理由に
線引きをするロジカルな根拠はどこにもない、と思う
(あくまでも「個人的な体験として」という、主観に関する話です。念のため)。
さて人間生きれば生きるほど獲得するものもあるであろうけれど、
基本的には砂の粒は時間とともに手のひらからこぼれてゆくものであるのと同じように、
不可逆的に失ってゆくものの方が圧倒的に多い。
年食えばそれだけ傷がついて苦しくなるもんだと思うのよ。
人間って。
で、小説の話。
物語はある高校の同窓会が舞台。
50歳を超えた同窓生らが一堂に会したこの舞台を軸に、
各登場人物それぞれの人生模様が多層的に展開されてゆく。
癒えない戦争の傷を抱えて生きる男。
不倫相手との逢引の最中に相手が水死してしまい、
その事実を夫に告げることができず、
また夫が真実を知る日がいつか訪れるのではないかと日々苦しみながら生きる女。
若かりし日に恋人が駆け落ちの約束に現れず、一人祖国を後にし、
恋人を憎み続けて生きる男。
その男を裏切った恋人は、幸せな結婚生活を築いたものの、
乳がんで片方の乳房を切除してから夫婦の関係が崩壊してゆく…
登場人物全員、揃いも揃って「これでもか、これでもか」と言わんばかりに、
やりきれないような重荷を背負いながら、
それでも表層では平静を保ちながらそれぞれの人生を生きている。
けれど、これがまた異様にリアルだ。というのも、
結局人生というのが本質的にこういうものだからだ、と思う。
人生なんて嵐のようなもので、人間はその嵐にもみくちゃにされながら
きりもみする小舟のようなものだ。
人間誰しも年齢を重ねるごとに十字架が増えてゆく。
時に「もう抱えきれない」と思ってしまうような重荷であっても、
それでも日常は容赦ない。
人は日常を生きなければならない。
絶望しながら。
あるいは、それでも希望を見出しながら。
幸せなものほどはかなく、試練ほど、容赦がない。
美しいものというのはこの嵐の前で実に心許なく、
かよわく、今にも吹き消されそうになりながら躍り狂う、
かそけき灯火のゆらめきの如きものだ。
それでも、というより「それだからこそ」、
彼らはそのゆらめきに手を延べようとする、
それを慈しもうとする、もとい
「嵐の前になんら無力であるがゆえに、そのちっぽけなゆらめきがいとおしいのだ」。
人間がいとおしいのは、ばかでちっぽけで無力で無価値だからこそじゃないか、
というような気持ちになった。
すごい物語だった。
人間存在全般のいじらしさに、胸がつまった。
ビリーボブソーントンとハルベリーが出演している
「チョコレート」という大傑作があるのだけれど、
この小説はこの作品とどこか似たような印象を受けた。
嵐の中で魂同士が呼び合っている、というイメージ。
きれいなものばかりではなく、むしろ醜いものはその万倍描かれているのだけれど、
小さく震えているものが互いに手を述べ合う姿に透けて見える何らかの光が差した光景。
ちなみにこのレビュー、感極まって非常な長文を書いたのだが、
書いた直後にうっかり関係ないキーを叩いたために
ページが遷移してしまって書き直しているもの。
だから書き直しでは、何だか気力が萎えて、かなり端折ってしまった。
けれどとにかく…小さいからこそ
無力だからこそ そのきらめきがより一層まぶしいのだ
と読みながら感じたことで、
あまりに胸がいっぱいで、
どうしても今の気持ちを残しておきたかった。
ほんと、読んでない方はぜひ読んでください。
すごい本でした。
レビューは文句なしの満点。
ニュルニュルと巻き込まれるオブライエン・マジック 
(2005-02-04)
オブライエンの久しぶりの作ということで抱いていた期待が、少しも裏切られなかった。最初は「何だか散漫だな」と思って読み進んでいたけれど、中盤過ぎからニュルニュルと絡め取られるように物語に引き込まれる。結局、登場人物たちの物語はどれも収束せずに結末に到るが、その落ち着きのなさ、座りの悪さこそがオブライエンの伝えたかったことなのだ、と納得。村上春樹氏は『オブライエンにこそ現代を包括する総合小説を書いてほしい』という意味のことをどこかで書いていたが、全く同感。次回作への期待大です。
ベトナムをこえて 
(2004-10-15)
The things...と同じ戦争と世代というテーマをTomcat...とおなじ哀愁を含んだユーモアで描いている。最初は軽すぎるのではないかと思ったけど、戦争の傷跡と失われた時間に長い間苦しめられ続けてきても人生の後半を迎えて尚前向きに生きようとする態度をあたたかく描こうとした結果だと思う。そして結果的にテーマはベトナム世代というものを超えて一世代の記憶と現在というところまで一般化しているのはさすが。Over the flaming grasslands,it was July now,July alwaysというのはきっと作者なりの過去というものとの付き合い方なのだろう。
おとなになんかならない、こどもにもかえれない 
(2004-08-30)
30年ぶりに同窓会で集まった元大学生達。ある男はヴェトナム戦線に参加し、ある女は男を裏切り、一人の女を待ち続ける男がいたり。1969年と2000年が、若気の至りと大人の過ちが、ぐるぐるとシェイカーの中で混ぜられていく。
ぜんたい感傷というものに浸るには、わたしはまだ歳が足りないのかもしれない。離婚もドラッグもしたことないし、なによりラブ&ピースが声高に叫ばれていた時代をしらないし(まだ玉子ですらなかった)、その後にきた世界の波もよくわからない。世代が違うから。でもね、昔を思い出してぐじぐじしていいのは大人だけに許される気もする。
若い人でもそれなりに経験は出来る。家柄や家業が特殊だったりすれば、必ず同年代よりも経験は多いだろうが、年齢による経験は歳をとらなければわからない。
彼ら元大学生のハッピー(日本語訳だと意味がズレそう)がなにをもってハッピーなのかはこの際関係ないだろうけれど、ハッピー・エンドじゃなくてエンドからもさらに時が進みゆく。日常かどうか、リアルかどうかではなくてing。ingの小説だ。