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2005年04月23日

旧暦 二〇〇五年三月十五日 大安

魚眼カメラが欲しい [ お買い物 ]

 パノラマ写真が撮りたくて最近魚眼レンズに注目してるんですけどどれも高い。ちょっと撮って遊ぶぐらいの気持ちではなかなか手が出ません。面白いカメラで有名なロモ(Lomography JapanThe lomographic Society Internationallomography.shop)が安価な魚眼カメラを発売したそうです。50米ドル。ただ、やっぱりデジカメじゃないと気前よく撮れないですし。と思ったら、cat@logというブログにこんなエントリーを見つけました。魚眼デジカメが発売予定だそうです。リンク先(Core77 - Design Studio Bullitts)を辿って記事を読んでみたんですけど、これって魚眼なんですか。本当に。なんかそのような記述が見当たらないんですけど。
 いずれにしてもまともな魚眼レンズは高いです。ググってみたら以前たのみこむでこんなリクエスト(魚露目8号)があって、有限会社フィットというところが商品化(魚露目8号)したようです。もう2年も前のことで再生産の予定はないようですが私が求めていたのはまさしくこれです。リクエストボードで賛同者を募っています。賛同者が多ければまた製品化してもらえるかもしれません。どうでしょうか。

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解放記念日の準備 [ サイゴン日記'2005 ]

 1975年4月30日に北ベトナム軍がサイゴン中心部まで侵攻して政権を制圧したことで戦闘状態に終止符を打ちました。今年は30周年記念ということで数々の式典が準備されているようです。独立会堂(統一会堂)の周辺も数日前から通行規制がされていてなにやら準備が進められています。
 ベトナムでは祝日には国旗を家の前に掲げるのが暗黙の掟になっていますが、解放記念日までまだ一週間もある今の時期から多くの家の前に旗が翻っています。ぽつぽつと旗が飾られ始めたのはもう一週間前のことですので、今年は30周年の意気込みが感じられます。きっとお上からの御達しがあったんだと思います。私の借家は解放軍の功労者に割り当てられた区画ですので、どの家にも必ずといってよいほど旗が飾られていますけど、私には関係ないことだし法律的には飾らなくても問題ないでしょうから飾る気はありません。きっと、ベトナム人の場合はそんなことも言ってられないのでしょう。

 サイゴンは南にあるからといって南部の人間が暮らしていると考えるのは全くの間違いで、特に1区やタンソンニャット空港周辺の米軍関連だった地区に75年以前から暮らしている住民の割合はかなり少ないと思います。というかベトナム共和国軍関係者が以前の住居に住み続けてるなんてことの方が稀かと思います。1区を離れても通りに面したいわゆる好条件の立地の場合はほぼ全て北部出身のベトナム人だろうと思います。そのような話を知らなかったころ、南部なのに北部方言を使うベトナム人が多いのを不思議に思ったことがありましたが、理由はそんなところです。もちろん、東京のように職を求めてホーチミン市に流入する数も日に日に増していますので戦争だけが原因ではないことは言うまでもありません。

 戦争末期から4月30日後まで南部ベトナム人は先を争って海外に移住をしました。当然ながら共和国政府や共和国軍の多くは土地を残して海外や地方に逃亡しましたし、それらと関係がなくてもある程度金があったベトナム人の多くは家屋を捨ててでも残りの財産を掻き集めて海外に流出したと言われています。それらの自然に空いた物件や共産党が強制的に接収した土地や建物に北から流入した人々が今もなお住み続けているわけです。ですので、共産党が接収して割り当てられた場合はいちおう合法的である一方、中には北からやって来て空いていた家を見つけてそこに勝手に住み続けて今に至るというケースも少なくないようです。政府にしてみれば同胞ですし書類を書き換えるなんてことはわけないですから、関係機関に幾ばくかの心付けをして今では法的にも問題はなくなっているのかもしれません。日本でも敗戦後の東京で在日の人たちが暴徒化して暴れたり、土地や建物を奪って住み続けていますが、それも今では合法的と見做されていますので、どこの国でも同じかもしれません。ただ、日本の場合は弱腰な態度と失政が土地を取り返せない原因ですけど。

 よく話には聞くもののベトナムでは全く教えられないのが、ベトナム共和国の暮らしぶりについてです。北の大義名分は南部で貧窮し虐げられている同胞を解放するというものでした。しかし、実際はサイゴンの暮らしはかなり裕福であったそうで、解放後に侵攻してきた北ベトナム軍がサイゴンの町並みや、民家にあるテレビを見て驚いたという話もあります。1975年4月30日を境にサイゴンの風景は一変してしまいました。前日まで洋服やアオザイで溢れていた街角があの日を境に軍服とみすぼらしい服装、痩せこけた人たちで埋め尽くされているのを目の当たりにして愕然とした、とあるベトナム人が話していました。今でも街中でちょくちょく見かけるアオザイですが、解放前は今以上にもっと日常的に着られる服だったようです。

 30日が近づくにつれて、戦争のドキュメントが放送される頻度が高くなってきました。まぁ愛国教育はいいことだと思いますのでそれはいいです。私はベトナムの政治に口出しする気も毛頭ありません。そんな権利もないですし。今はまだ自由に話してくれるベトナム人にはたまにしかお目にかかることができません。私とそれほど親密でないことも理由ですけど、もう少し気軽に話せるようになったら言いなぁとは思います。
 しかし、ソ連やその後のロシアはそれで失敗してますし、ベトナムが手本にする中国はあれで上手くいってるわけですので、やっぱりベトナムももう少し我慢すべきでしょう。一人当たりのGDPが2,000ドル(だったかな?)を超えると民主化運動が起こるというのがアジアの歴史だそうですけど、ベトナムは確かまだ500ドル未満だったかな。あと10年は無理かな。20年も無理かな。共産党の人たちもエリートなので分かってるんでしょうけど、権益を残したままどうソフトランディングさせるか心中複雑なんでしょうね。

 余談ですが、30周年記念のために解放軍兵士が各地から集められてなんかする(よくニュース見てなかったので分かりません)ためにバスで移動中に事故って30数名のほとんどが事故死したそうです。気の毒なことです。ニュースでは事故原因の調査を続けるっていってましたけど、純粋に交通事故の調査ですよね。まさか謀殺しても意味ないでしょうし。私の勘繰り過ぎですね。
 因みに解放軍とはいわゆるベトコンのことです。ベトコンは「ベト共」という南からの蔑称です。ベトコンは自らをNLF(National Liberation Front)、つまり民族統一戦線(祖国統一戦線)と称していたとのことですけど、本当のところはどうなんでしょうか。我が家の周りは元ベトコンだらけですけど怖くてそういう話題はできません。

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mail-entry最終テスト [ moblog ]

 MIME::Parserがないとかエラーが出てるんですが、どうやらちゃんとエントリーはされてるみたいです。メール投稿後にcgiを動かしたときもメールがないと表示されたり、なんか嫌な感じですが投稿はできてるみたいなのでとりあえずこれでよしとすることにします。あとは画像がどうなるか。このエントリーとは全然関係ない写真ですけど試しにアップ。保存先とサムネイルも上手くいくでしょうか。

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