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「Buon」に関する一考察

 「淋しいの?」
 ベトナムで手持ち無沙汰にしているとよくかけられる言葉です。
 「buon」は、悲しい、寂しいと言うのが第一義にあります。

 Fionaのぼやき★ベトナム生活喜怒哀楽日記:[怒]考えごとぐらいさせてに、この国で外人がよく体験するそのような話が書かれています。

 あまり親しくない人からも、身内のものからであってもよくその言葉をかけられます。ひょっとしたら私が外人だから気を使っているのかもしれません。でも、ベトナム人同士でも使われているみたいなので、外人と話す時だけというわけでもなさそうです。

 ベトナム語をかじり始めた時は、「buon=淋しい」とそのままの意味で理解していて、それはベトナムの文化に起因する社交辞令のようなものだと思っていたので、「buon khong(淋しい)?」に対する私の返答はいつでも「khong buon(淋しくない、と私は言ってるつもり)」でした。それについては以前、なぜベトナム人はいつも「淋しいのか」と訊いてくるのかと真剣に考えてみたことがあり、そこである一つの結論に至りました。

 日本人がよく使うような辞書を見ると「buon」の第二義として「~したい」というのが見つかります。その例として「buon ngu(眠い、眠りたい)」があげられています。同様の使い方として例文を考えてみると、「khong buon den an uong(何も食べたくないし、飲みたくもない)」、「khong buon den viec gap ai(誰とも会いたくない)」などの文が思いつきます。しかし、この「~したい」という訳は、遠からずとも正確な訳とは思えません。確かに表面的にはそう訳しても差し支えないような気もします。ですが、「buon=~したい」というのは結果論であって、その感情に至るにはもう少し複雑な深い過程があるのだと考えています。

 余談ですが、日越辞典、越日辞典にはまだろくなものがないので、真剣に言語を知るという意味ではあまり役に立ちません。ベトナム語を勉強する日本人は日本国内でもベトナムでも、大抵は大学書林のT氏編纂の辞書を使います。この辞書は日本で始めて本格的につくられた辞書だと聞いています。しかし発行からだいぶ時間も経っています。それに続くいい辞書は出てこないでしょうか。
 ベトナムではこの辞書のコピーが溢れていて、日本語勉強中のベトナム人も、それがもともと日本の辞書だと知らない人も多いです。実は私もおみやげとして10冊以上も買って帰ったことがあります。ベトナムではしっかりと出版社で組織的に印刷されて本屋で販売されているので、出版権などがどうなってるのか実のところよく知りません。国ぐるみで著作権違反を推奨しているのか、それともいくらかは支払っているのか。
 そういえば、事情は違いますけど、韓国では今よりも日本文化を排除していた時期がありました。でも、ソウルを旅行した時に本屋に入ったら、もろ日本のパクリ丸出しというような書籍が多く目につきました。あんなのも、今思えば版権とってなかったのではないかと思います。日本も含めてアジアはやはり著作権に対する意識が低いです。

 脱線しました。ここで、日本語の「さびしい」という言葉の意味についてもう一度考えてみることにします。広辞苑第五版には以下のように説明されていますので、その一部を抜粋して掲載します。


【寂しい・淋しい】
<<形>>本来あった活気や生気が失われて荒涼としていると感じ、物足りなく感じる意。
①もとの活気が失せて荒廃した感じがする。
②欲しい対象が欠けていて物足りない。満たされない。
③孤独がひしひしと感じられる。
④にぎやかでない。ひっそりとして心細い。

 ここでは②の意味に注目してみます。日本語の「さびしい」には「物足りない。満たされない。」という意味があるのです。つまり、これをベトナム語に当てはめて考えると「buon ngu」は、「睡眠が不足している。寝足りない。」のであって、それが転じて「眠い、寝たい」という意味になると考えることができます。
 「もともとあったものがなくなる」ことで、「孤独を感じ」、また別に派生して「不足感がある」という意味になるわけです。「さびしい」と「~したい」は一見しただけでは、相容れない意味にとられがちですが、その原義を考えるとどこにもおかしいところがなく、むしろ理路整然としているではありませんか。

 現代の日本語では上記②の意味で「さびしい」ということばが使われることはあまりないように思います。しかし、ベトナムでは今もなおその意味がしっかりとベトナム語の中で生き続けています。どこの国でもことばが違えども、人間の思考なんてそう大きく変わるものではないのです。

 そんなわけで、私が手持ち無沙汰にしている時にベトナム人にかけられる「buon khong?」ということばは、「さびしいの?」という意味で正しいわけですが、「物足りない。満たされない。何かをしたい。」という意味を強調して、さらに現代日本語に合わせたより的確な表現を目指すとすると、以下のようなものになるのではないかと考えられます。

「つまらないの?」
「ひまなの?」
「退屈なの?」
「手持ち無沙汰なの?(これはあまり言わないと思いますけど)」

 確かに女性に声をかける場合、「何をそんなにさびしそうにしているのですか?お嬢さん」などといって口説くことも全くないとは言えないので、厳密に言えば、相手のことばの真意を知るには本人に確かめるしかありません。まぁ、そんなことを言い始めると全ての言葉がそうなってしまうのですけど。

2004年11月 28日(日曜日) (旧暦 二〇〇四年十月十七日 友引


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Comments

1. 投稿者 Fiona : 2004年11月29日 13:52 [返信]

なるほど~。こういう風に真剣に考えたことがなかったので、勉強になりました。

ただ、実際に「どうしてそういう風に聞くの?」と聞いてみたところ、ベトナムでは楽しい顔をしていれば「何か楽しいことがあったの?」と聞くし、哀しい顔をしていれば「哀しいの?」と聞くし、聞くこと自体は「元気?」と聞くのと同じあいさつみたいなもので、深い意味はない、と言われました。話すきっかけ作りみたいなものでしょうか。
ベトナム人の友人は「ようするにベトナム人は他人に関心をももちすぎているんだよ」といってます。

2. 投稿者 myura : 2004年11月29日 21:08 [返信]

ことばのもつ意味ではなくて、
ベトナム人が「なぜそうきくのか」については、私もFionaさん
のおっしゃる通りだと思います。
ベトナム人自身も、自分達が世話好きなことを長所だと思って
いる反面、お節介すぎて他人に興味を持ちすぎるのを短所だと
自覚してところもあるみたいですね。
私の周りのベトナム人もそう言ってました。
でも、日本人と比較しようとしても根拠を示せませんけど。

ところで、困っている時に助けてくれるベトナム人にはいつも
感謝の気持ちでいっぱいなのですが、お願いだから、知らない
ものは知らないと言ってもらいたいです。
こちらから聞いた時でなくても、向こうから寄ってきて
うそ情報をおしえていくのはどういう精神構造なのか、
これもまた深く考えてみる価値ありですね。

3. 投稿者 Fiona : 2004年11月30日 09:25 [返信]

日本人だと「そっとしておこう。その話題にはふれないようにしよう」
と思うところを、ベトナム人だとずばずば聞きますよね。
話したくないっつうのに。

逆に日本だったらちゃんと問いただすでしょう、ということは
突っ込んで確認しようとしなかったりして、
(例えば納期が遅れたらその理由はなにか、とか)
それがいらいらすることが多いです。

なんで知らないことを「知らない」と認めないんでしょうね?
私も同じように感じています。
最初は「知らない」ということが恥ずかしいのか、
と思っていたのですが、
「知らない」といってしまうと、
自分が非常に不親切な人だと思われる、
適当でも答えておけば親切な人だと思ってもらえる、
という考えがあるのでしょうか???

4. 投稿者 myura : 2004年11月30日 20:51 [返信]

知らないことを「知らない」というのは日本固有の文化なのでしょうか。
そんなわけないか。

前にインドに行った時にも同じような体験をしました。
行きたい場所と反対の方向を指差されたこともありました。
それを信じて行ってまた別の人に聞くと今度は全く反対だったり。
地図を見せても、結果的にぜんぜん関係ない場所をおしえられたり。

ところで、ベトナム人は地図を読めない人が多いですね。
学校で教えないというより、一昔前の軍事的だか政治的だかの
政策によるものなのではないかと勘ぐっているのですが。
なんでなんでしょうか。

とにかく今は道を聞く時は数人に確かめることにしています。

ベトナム人同士がそれで困ってないのだったら、私たちが外人の文化
を押し付けるのもどうかと思うので、それに合わせるしかないですね。

5. 投稿者 Fiona : 2004年12月01日 17:20 [返信]

地図が読めないのはやっぱり人々がそういう教育を受けていないからだと思います。
鳥瞰図でみるのと頭の中で道をつなげるのとでは
使ってる脳が違うのかもしれません。

政府の政策、というのもあるのかな~。
私が思うに、地図を作るのは測量などでかなり費用がかかるので、
地図そのものが作れないんじゃないかと思うのですが、
どうなんでしょうか。

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